お祖母さんがやってきた

お祖母さんがやってきました。とは言っても、お祖母さんの遺骨を我家で預かったと云う事です。
先日の15日に病院で息を引き取りました。大正6年の生まれなので93歳でした。しかし、位牌には何故か94歳と書いてあります。まぁ、あまり気にしません。お祖母さんは、正確には母方のお祖母さんです。一寸我家は複雑で、お祖父さんとお祖母さんが結婚しました。お互い×①です。多分お祖父さんが50位、お祖母さんが40前位です。その時、お祖父さんの方には二人の息子、お祖母さんの方には三人の娘を連れての結婚でした。一緒に生活する内に、この中の息子と娘が結婚してしまいました。それが、うちの親父とお袋です。年齢も24歳と18歳なので問題はないのですが、戸籍上5,6年は兄妹の関係だったので親戚中が反対したそうです。しかし、お袋に一途だった親父は大学も中退して帰って来てしまいました。「まぁ、よくやるなー親父!」と拍手を贈りたい位です。私には、とてもそこまでの勇気は無いでしょう。(だから未だに独身ですが。)まぁ、親父達の成り染めはいいのですが、そういうことで、昔から私にはお祖父さんとお祖母さんは一人ずつしかいませんでした。普通二人ずつですので、その感覚はわかりません。親父達が結婚する頃に、お祖父さん達は別の場所に移り住んだので、夏休みや冬休みには遊びに行きました。汽車で二時間かけて、兄と二人だけで遊びに行ったこともあります。そんな時は、歩いてお祖母さんが私達を迎えに来てくれていました。お祖父さんは職人気質の厳格な人でよく叱られましたが、お祖母さんからは一度も怒られません、「おや、まぁ」みたいな感じで全てを笑って受け入れてくれました。お祖母さんの家には、鶏が何百羽かいて、巨大な豚が3匹程いました。悪ガキだった私は、玉子を集める手伝いが終わった後、「コッコッ」と鶏が余りにもうるさいので、全速力で鶏舎の中を駆け回り、驚いた鶏達が一瞬シーンと静まりのを楽しんでいました。巨大な豚は本当に怖かったので、あまり近付きませんでした。ただ、近くに行ったときは寝ている豚に小さな石を投げつけて「ブヒッ」と言わせては、睡眠の邪魔をしました。お祖父さんは馬の蹄鉄を打つ人だったので、近くの神宮の初午際の前にはよく馬が来ていました。馬の蹄に真っ赤に焼けた蹄鉄を押し付けた時の焼ける匂いは、今でも強烈に脳裏に残っています。そんなお祖父さんも私が大学生の頃に亡くなりました。お祖母さんが、お葬式の最後にお祖父さんの使っていた茶碗を玄関に打ち付けて泣いた姿が忘れられません。それから四半世紀、お祖母さんは一人でお祖父さんと暮らした家に住んでいました。隣の集落には、お祖母さんの弟達がいたし、一人の気楽さもあったのでしょうが、本当は子供達に気兼ねしていたと思うのです。私達孫が進学や就職で家を出て行ってしまった後、お祖母さんは私の家で親父やお袋と暮らしたかったと思うけど、程なく今度はお袋が先に亡くなってしまいました。親子とはいへ、さすがに血の繋がらない親父とは一緒に暮らせなかったのでしょう。それでそのままずーっつと一人で暮らしていました。お盆と正月には必ず遊びに行きました。これがせめてもの孝行だったかと思います。三、四年前からとうとう一人で歩けなくなったので、遠出も出来なくなると思い、お祖母さんが一度行って見たいと思っていた『鹿屋市のバラ園』に「母の日」に連れて行きました。ほとんど、歩けないので園内を私がずっと車椅子を押して周りました。思えばこれがお祖母さんと遊んだ最後の記憶になりました。その後、お祖母さんは病院に入ったり、高齢者の施設に入ったりの繰り返しで、お見舞に行くだけになりました。今年のGW明けに、一人で見舞に行きましたが、もうその頃には意識が無くなったり、戻ったりの繰り返しでした。私が行った時は、もうずっと意識が無く、何度呼びかけても目を覚ましませんでした。もう、昼も夜も無い状態なので、一旦寝始めるとずーっと寝ているようなのです。30分ほどお祖母さんを眺めていましたが、キリがないのでそのまま病室を後にしました。これが生前のお祖母さんの最後でした。この時私は、生きているお祖母さんには会えないことを覚悟しました。お葬式には、私は仕事の都合上行けませんでした。亡くなったその日、仮通夜にお祖母さんの亡骸と対面しました。お祖母さんは、そこに穏やかな顔で横たわっていました。戦後の混乱期に、旅館を経営し、隠していたお金の重みで天井が大きくたわむ程の財をなした絶頂期から、初めの旦那が女癖が悪く、その財を全て散財してしまったどん底期。二度目の結婚のお祖父さんとの貧乏ながら穏やかな生活。本当にお祖父さんとの暮らしが、掛け替えのないものだったらしく、死んだらお祖父さんの居るお墓に一緒に入れてくれということで、生まれ育った、また最後まで暮らした鹿児島ではなく、お祖父さんが眠る熊本にやってきました。93年と半年に及ぶその波乱に富んだ人生が終わりました。